New article on “repository” and "Rectangular Forest" designed by Jun Igarashi

提供:五十嵐淳建築設計

五十嵐淳さんの「repository」と「矩形の森」について。

写真提供:五十嵐淳建築設計

10+1 web site 【特集】 設計スタディの現在形、新たなテクトニクスの発見へ

10+1 web siteの特集を担当させていただきました。

建築設計におけるスタディの現在形を、「他者性」をキーワードに定位します。

長坂常さんへのインタビュー記事も。

対談:内藤廣×長谷川豪


『対談:内藤廣×長谷川豪』

日時:2012年3月24日(土)13:00-15:00(開場:12:30)

会場:東京大学生産技術研究所 An棟 2階 コンベンションホール

住所:東京都目黒区駒場4-6-1

地図:http://maps.google.co.jp/maps?q=35.661093%2C139.677546

対談者:内藤廣長谷川豪

進行:門脇耕三

コメンテーター:川添善行

入場料:無料

申し込み:不要(定員257名,参加者多数の場合は当日先着順)

Flyer:http://www.hsgwg.com/20120324.pdf

Photos of House in Mejiro-dai designed by Mejirostudio and Kozo Kadowaki, taken by SHIMIZU KEN (more information)

memo (Rem Koolhaas)

だいぶ前のことですが、レム・コールハースの建築を立て続けに見る機会がありました。

彼は、コルビュジェ以降の最も重要な建築家と位置付けられる人であるにも関わらず、日本語のテキストでは、正面切って語られたことがほとんど無い人です。西洋的建築論の最先端に位置する人なので、違った文化集団に属する日本人にはおいそれと手を出せない、ということだと思いますが、そういうわけで、僕自身、非常に興味を持ちながら、あまり相対化できていなかった建築家です。

で、実際見てみてどうだったかというと、彼の空間は、想像していた以上に雄弁だということが、一つの発見でした。つまり、空間がテキストのようにデザインされていて、さながら小説を読むように建築の構成を読解できるのです。そして、その建築は何について語っているかというと、多くが、自分が置かれている都市や場所の状況について語っています。このことは、おそらく、彼の最初の著作「錯乱のニューヨーク」でマニフェストとして語られている一文「私は都市のゴーストライターである」*に関係します。都市を、建築というメディアを用いて、ゴーストライティングしているという訳です。

そしてもう一つ、鮮烈に印象に残るのは、彼の素材の使い方です。基本的には、工業化されきった、建築家としてはあまり使いたくない類の素材を使うのですが、その扱い方がとても瑞々しいのです。彼の建築には、鉄やコンクリートが始めて使われ出した、20世紀初頭の建築と同じような、素材に対する建築家の新鮮な驚きを感じます。「俺たちの住む世界はどうしようもなくゴミに溢れちまったけど、ゴミにはゴミなりの魅せ方があるんだぜ」というコールハース先生の声が聞こえました!(←病気)

写真は、上からエデュカトリウム(ユトレヒト)、クンストハル(ロッテルダム)、マコーミック・トリビューン・キャンパス・センター(シカゴ)です。

* 正確には、マンハッタンについて論じたこの本の著者である自分自身について、「私はマンハッタンのゴーストライターであった。」と書いています。

onceness

「東京の時間を、50年前まで巻き戻して、もう一度50年後まで進めたら、その東京は、いまの東京と同じように見えるでしょうか?」

この質問を、都市を扱っている人にしてみると、人によって
・細々としたところは違っていても、大域的には同じようにみえるはずだ
・そんなの全然違っているに決まってる
という正反対の答えが返ってきます。前者は都市を解析的に扱う、工学的・理学的アプローチの人たちに多く、後者は人文学的に都市を扱う人に多い答えです。

僕自身は、後者の方が正しいような気がしていて、その理由はいくつかあるのですが、一つには、都市の構成要素が、それ自体の物理的なインパクトは大きくなくても(物理的に際だった特徴を有してなくても)、人の精神に与える影響が大きいことが往々にしてある、ということが挙げられます。

その定義からして、そうした都市の構成要素の存在は、些細な歴史的偶然で吹き飛んでしまうようなものなので、だから僕の想像するパラレルな東京は、いまと全然違う姿をしているのです。

つまり、都市は偶然に支配される一回性を持つと思っているのですが、このことは、経験則は裏切られるのが世の常で、だからこそ世の中は過酷でありかつ同時に自由なんだ、というジョン・ロックの主張と重なっているように思えます。

Dominique Perrault / Bibliothèque Nationale de France, Paris, 1995

ドミニク・ペローのフランス国立図書館(ミッテラン図書館)。相対する4本の高層棟の中心には、深く落とし込まれた異形の森があって、これまた精神分析的に興味深い建物です。ミースは計画段階のシーグラムビルの正面の池に、奇妙なかたちの彫刻を沈めようと考えていたそうですが、この森もその彫刻と同じく、完璧に理性的な空間から、やむなく放り出された排泄物のようなものだと理解できます(しかし / だから高層棟と森は、互いの存在に関して相補的です)。通常の動線ではこの森にたどり着けないところも、非常に意味深く思えます。

Le Corbusier / Villa Savoye, Poissy, 1929

いわずと知れたポワッシーのサヴォア邸。ル・コルビュジェ「白の時代」最後の作品です。理性を象徴するかのような、地面から軽やかに持ち上げられた白いキューブの中に、情念的な曲面壁や廻り階段が埋め込まれているその構成は、精神分析的な読み方が可能で、だからこの建物は、あたかも擬人的存在に感じられます。そして僕は、こうした人間臭い複雑さと深遠さを持つ、コルビュジェの建物がとても好きなのです。写真は遊びでモノクロフィルムで撮ったもので、もちろん建築写真としては失格なのですが、気に入っています。

2010 Jun. 06, HODC Symposium Session #2, taken by SHIMIZU KEN

2010 Jun. 06, HODC Symposium Session #1, taken by SHIMIZU KEN